「建築」という夢との向き合い方 人生に素敵な選択肢はあるのか 

法隆寺夢殿

2020年、筆者は40歳になった。

「建築」という甘く情熱的な香りのする言葉に惹かれて、建築学科に入った。
大学1〜2年生の頃の自分は、40歳になる頃には少なくとも若手建築家の一人になれるだろう、と思っていた。

けど、今の自分はどうだろうか。

ベトナムにある家具工場の家具開発設計の一責任者にすぎない。
20歳からの自分の行動を振り返れば、成るべくしてなって、ここにいる。
としか言いようがない。

筆者は、人生のうち何度か誤った選択をしている。
特に大事な選択をすべき段階で過ちを犯した。
あのとき、もっと正しい道へ進む選択肢があった。そちらを選んでいたら、僕は今ころベトナムにはいなかっただろう。
未だに「建築」という夢を抱えて生きてなかったかもしれない。
むしろ、学生時代に「建築」と別れてしまったから、未だに夢として自分の中に「建築」が存在している。

矛盾だらけの20代

筆者の行動は常に矛盾していた。
一級建築士になるには、設計事務所に入らなければならないのに、内定通知の出ていた設計事務所を断り、商業施設の施工を主な事業とする会社に入ってしまった。
内定を蹴った設計事務所は、決して派手な建築を設計していた事務所ではないがマンションなど集合住宅を手掛ける設計事務所、そこで働いていれば建築士としてのまっとうな人生が待っていただろう。

なぜ、そこへ行かなかったのだろうか。
過ちを犯すには、理由があるものだ。

理由は簡単だ。22歳の筆者は、浮ついたただのガキだった。

当時の自分を振り返ってみると
◯銀座で働きたかった(施工会社の事務所が銀座にあった)
◯三鷹で働きたくなかった
◯地味な設計事務所に魅力を感じなかった
◯施工会社の方が給料がよかった
◯施工会社の募集内容がインテリアデザインだった。(実際はほぼ現場仕事)

入社してすぐに、騙されていたことはわかった。インテリアデザインの会社ではなかった。
だけど、建築設計には現場の理解は必要だし、それに現場監督の仕事もそれなりに楽しかった。
商業施設の現場は、工事期間が1ヶ月〜3ヶ月で終わる。イベント的な楽しさも確かにある。
最初はわけわからなかったけど、いろんな職人さんの仕事をみるのは楽しかったし、時間があれば自分でも手を動かして施工にあたった。
引き渡し前は1週間くらい家に帰れないこともあったが、引き渡し後の達成感他には代えがたいものがある。
最初の1年間は本当にきつかったけど、やりがいも感じていた。
2年目には、一人で2000〜3000万円の現場をみるようになっていた。多少自信もついた。

いま振り返れば、実はこのタイミングならまだ設計事務所へ就職活動するチャンスはあった。まだ25歳だった。
だけど、当時の自分は妙な自信をつけてしまい、この業界でやっていく気になっていた。
20代なら人生の方向転換の選択肢なんてどこにでも転がっているのに、気がつかなかった。

社会人3年目の油断

最近、20代が職場に増えた。
うちは40代以上が多い会社だから、20代にかかる責任は少ない。
24−25歳頃の筆者は、2000万円以上の現場を年間4〜5件一人で管理して、請負金額でいうと毎年1億円以上こなしていた。
26歳になると年収も400万円くらいにはなっていた。だけど、その分責任も重かった
それと比べると、いまの若い世代は甘やかされているな、とやはり感じてしまう。
甘やかされている環境だからこそ、彼らは自発的な行動をしないと成長できない。ある意味で厳しい環境なのかもしれない。

建築業界自体ブラックだったし、いまでもブラックな部分は残っていると思う。
当時の会社はブラック企業で、はっきり言って社員は搾取されていた。
月に400時間働いても、出社していない社長娘の方が給料が高かった。
いまでも、たまに当時の社長や社長息子が夢に出てきて、うなされることがある。

恵まれない環境、望まない仕事、いつの間にか「建築」という夢を捨ててしまった自分。
自分の人生がすごく嫌になっていた。
自分で自身を認められないし、生きている意味さえわからなかった。

振り返れば、この頃の経験が今になって活きているとは思うが、正しい選択肢を選んでいればもう少しマシな人生だったのではないか、と時々思ってしまう。

多忙が考える時間を奪う 人をアホにする

現場にかかる責任は重い。
クライアントにとっては、数千万円を投資して工事を行うわけだから、満足いく仕上げをして納めなければならない。
そうなると、現場がはじまると1日中、ほとんど仕事のことを考えている。
現場のあと飲みに行っても、職人さんや会社の仲間。そのあとキャバクラ行って散財。年収400万円でもほとんど貯金は貯まらなかった。
25歳位までは、まだ仕事に対して前向きに望んでいたが、26歳以降はむしろ後ろ向きにイヤイヤ働いていた。
キャバクラにハマった時期もあれば、オンラインゲームにハマった時期もあった。
今思えば、こんなことに時間とお金を費やすなら、もっと正しい使い方があったはずだった。2級建築士の勉強だってできただろう。
やる気がなかった。26〜29歳の若くて体力がある時期にこんな生活をしていた。

そして、29歳で6年働いた会社を辞めて、日本から逃げるようにドイツへ留学した。
これも振り返ると「ドイツ留学」という投資に対して、あまり深く検討して出した結論ではない。
ただ、なんとなくヨーロッパへ行くきっかけをつくりたい、というだけだった。戦略なんてものはない。
感情任せのいきあたりばったり、というか
「日本から逃げ出せば、なにか新しい人生が始まるのではないか」
という後ろ向きな希望的観測が含まれていた。

本当に重要な選択肢に対して、時間をかけずに判断してきた。
これが20代の筆者の人生だった。

ちなみに、29歳の自分は「建築」に対して淡い夢を抱きつつ、なんとなく諦めも持っていた。
淡い夢を抱いているくせに。建築士の勉強もしなかったし、20代の自分は「建築」の本を読んだり、展示会へ行ったりという行動さえしていなかった。
厳し言い方をすれば、学生のときに抱いた淡い夢を行動せずに待ち続けたお姫様。

待っていても何も起きやしない。
ドイツへ行ったのは、建築と向き直す機会にはなったとは思う。
だけど、戦略性がないドイツ留学の期間は「6ヶ月間の長いバカンス」としか言いようがない結果に終わる。
得たものは、多少のドイツ語とモダニズムの建築を見て廻った思い出。

トライ・アンド・エラーの30代後半

半年のドイツ留学から戻ってきた自分は、新しい選択肢と向き合うことになった。
だけど、20代にあまり実績を残せなかった筆者には、厳しい現実を突きつけられる。
2010年は昨今ほどの人材不足でもなく、30歳にして設計実績を持たない自分は、建築設計の職に就くことは厳しかった。

もちろん、内装工事の現場監督の仕事なら就けそうではあったが、あまりその世界に戻る気はなかった。
だったら自分のスキルを活かして、海外で働ける仕事を探そう、ということで今の会社に出会うことになった。
このときの選択肢としては、
・どの国でも良いから海外で働く
・日本で現場監督の仕事に就く
しかなくなっていた。

マジで30代になると選択肢が減っていく。
方向転換は20代の若いうちにした方が良い。

現状の家庭状況や給与面/待遇を考えると、この就職はラッキーだったと言って良いと思う。それなりに辛い思いもしたが。
しかし、家具工場に就職したことで、「建築」とはさらに遠ざかることになった。

実は、2014年頃ベトナムで就職活動をしたことがある。
ベトナムで日系企業の建築関連の募集が増えていて、「建築」の世界に戻るには最後のチャンスだと思ったからだ。
だけど、もうこのタイミングは遅すぎた。
結婚して、子供もできていたから、生活スタイルを建築業界に合わせることができないと思った。

おそらく、独身だったら無理をしてでも、待遇面を気にしなければ、入れてくれるところがあったかもしれない。
けど、妻子を持った自分にとっては、家族との時間が大事だった。もちろん、給料や待遇も大事。
戦略的に考えれば、独身のうちにベトナムで建築関連の会社へ就職活動すべきだった。「建築」という夢を追うなら。

しかし、筆者はここでも建築を諦めなかった。むしろ30代にして建築に対する思いが再燃してきた。
そこで「せめて2級建築士の資格を取得したい」と思い建築士の勉強を本格的に始めた。
結局、2級建築士は諦めて、木造建築士の資格に切り替えるのだが、2018年に木造建築士の資格を取得することができた。

これで、日本で木造建築士設計事務所を設立することも可能になった。
2020年で40歳の筆者は、もう転職活動をする気はない。
会社を辞めるなら、独立するタイミングしかない。
いますぐ辞める気はないが、将来的に独立する日が来るかもしれない。
30歳からトライ・アンド・エラーを繰り返してわかったことは、将来への選択肢は多い方が良い。

2020年はコロナ禍によって、大打撃を受けた業界がある。
いくら好きでも、やりたくても、仕事が継続できなくなることもある。
家具・インテリア業界は、むしろコロナ禍に強い業界だった。
ベトナムもコロナ禍の第二波が到来しているが、政府が素早く強権を発揮し、厳しいコロナ対策を行うので、経済的ダメージが少ない国だ。
家具業界でベトナム在住となると、筆者はコロナ禍での経済的ダメージの少ない部類に入るだろう。
いままで「建築」に正面から向き合えず、ずっと後悔して来たが、現在の自分の状況・環境は決して悪くない。
愛する妻と子供もいる。
「もし、ベトナムに来なかったらこの二人に出会えなかったんだよなぁ」
といつも感じている。
いまの妻子がいることが自分の幸せだし、彼らを幸せにすることが自分にとっての使命だ。

だから、「建築」だの「夢」だのと甘いことは言っていられない。

40歳からの「建築」との関わり方

だからといって、じゃあ「建築」とさよならしましょう。
というわけではない。
むしろ、今の状況で自分しかできない「建築」との関わり方がある。

それは、ベトナム在住であるメリットを活かし、「建築」と関わること。
「ベトナム×建築」で情報発信していくこと。

ベトナム在住で建築設計をされている日本人は何人かいらっしゃるが、ローカルのベトナム建築について情報をネット上に公開している方はみられない。
筆者は、もともと歴史が好きだったから、ベトナム史に関わる建築については書きやすい。特にチャンパ建築については、個人的にロマンを感じているし、失われた国の遺跡として語り継いでいきたい。
けど、ポジションとして空いているのは、現代ベトナム建築の情報発信。
ベトナム人建築家ヴォ・チョン・ギア氏は日本人にもよく知られているが、他のベトナム人建築家はあまり知られていない。現代ベトナム建築について建築ジャーナリストとしての活動をしていきたいと思っている。

話がそれるが建築史家の藤森照信氏は、最近は建築設計の活動も活発だ。
むしろ、建築史を研究されたことによって、藤森照信氏しかできない設計がある。
筆者が将来設計の仕事をできるかはわからない。
けど、ベトナム建築に向き合い、ベトナム建築のジャーナリスト的活動していくことによって、新しい選択肢が生まれていくだろう。

「建築」との向き合い方は設計だけではない。
いろんな向き合い方がある。そのためには、どんな選択肢があるのか。よく考えてみてほしい。
行動にうつすなら20代の方がよい。

関連記事

  1. ウィンザーチェアα

    i-Padを使ってスケッチ感覚で3Dが描ける「uMake」

  2. 木造建築士学科試験 独学方法

  3. 椅子生産における機械と人の共生と共制

  4. 「蔵王町の事務所」ファサード

    「うわーっ」という感動で満せたら・・・宇和建築設計事務所 宇都宮俊との…

  5. 「夢」という名の「欲望」は常にターゲットにされている。

  6. 日本人のこころを癒やす木の色 茶色の特色