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ハノイに遺る城塞跡4選

北門 |Thành Cửa Bắc

1873年フランスの攻撃を受けたハノイ。
翌年には租借地の開設を認め、フランス人の入植が始まります。
そのときに作成された地図です。ハノイのタンロン城を囲むようにギザギザの城塞が確認できます。
これは、フエの城塞と同じくヴォーバン城塞を見本に造られた星型要塞です。4隅が掩郭(えんかく)と呼ばれるひし形になっているのが特徴です。

1973年 ハノイの城塞

1973年 ハノイの城塞

世界遺産にも登録されているタンロン遺跡が城塞の中心地でした。
現在では城壁のほとんどが撤去されましたが、一部の遺跡が現在も遺っています。
今回は、ハノイに遺る城塞跡を紹介します。

国旗掲揚台 |Cột cờ Hà Nội

国旗掲揚台 |Cột cờ Hà Nội

国旗掲揚台 |Cột cờ Hà Nội

軍事博物館の中央に経つ国旗塔です。
タンロン遺跡からもよく見ることができます。
このあたりは、旧ハノイ城塞の南面中央部にあたるところでした。
タンロン遺跡を挟んで、反対の北側には北門が遺っています。

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【世界遺産】タンロン皇城

近くにはホーチミン廟や一柱寺、大統領政府等、ハノイの目玉観光スポットがああります。わせて回ると2〜3時間といったところでしょうか。

ベトナムの首都ハノイの街の中にあるタンロン皇城の中心区域は世界遺産に登録されています。 タンロン皇城の中心区域は2003年に発掘された遺跡で、昔から~1010年頃から~1814年まで一貫してこのハノイの地に都を築いてきたと言う事もあり、各年代の都の遺跡が何層にも重なっています。
世界遺産に登録されたのは2010年です。 タンロンと言う言葉の意味はタンが昇るロンが龍と言う意ですが、かつてのハノイがタンロン(Thăng Long)と呼ばれる都だった時の時代に思いを馳せる事が出来ます。

各時代の建物が重なっているのは一体どういう事なのか?
想像がつきにくい方に簡単に説明しますと、要は古い時代の建物の上にまた新しい建物を建てて行った方式で、どんどん建築物の高さが増して行った様な感じ~と捉えてもらえると分かりやすいかも知れません。
古い平屋の一軒家に二階部分を増築し、更に三階部分を~と時代ごとに増築して行ったことにより、一番下の部分が古い時代のモノで一番上の階が新しい時代のモノと言う構造をしている遺跡なのです。

そんな世界遺産タンロン遺跡ですが、ハノイっ子の撮影スポットとなっています。
世界遺産だから、外国人が多いと思いきや、アオザイやチャイナドレスを身にまとったきれいなハノイっ子がたくさんいます。

みんなそれぞれポーズをとって撮影に夢中です。 世界遺産のタンロン遺跡はすっかり、ハノイっ子たちの撮影スポットになっているのでした。 入場料3万ドン払って、撮影のために敷地に入ってくるのです。 彼女たちの撮影にかける熱は凄まじい。

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北門 |Thành Cửa Bắc

北門 |Thành Cửa Bắc

北門 |Thành Cửa Bắc

かつてハノイに城塞があった名残りの北門。
現在は門としての役割は果たしておらず、歴史的モニュメントとして堂々と立っています。

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東河門|Ô Quan Chưởng

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筆者プロフィール:Koike Yusuke(デザイナー&マーケター)
木造建築士という建築知識をバックグラウンドに、ベトナム南部で家具のマーケティング・デザイン・商品開発をしています。ベトナム史が好きなので、ベトナム建築を古代から現代まで調べて、このブログで紹介しています。建築や家具、デザインはもちろん、ベトナム史やビジネスについて語り合える方募集しています。Twitterやインスタでお気軽にDMください。
資格:木造建築士 / カラーコーディネーター1級(商品色彩)
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