フエ王宮 建忠宮殿と再建案
![1930年の建忠宮殿](https://ample.style/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1764-e1683562949425.jpeg)
建忠宮殿は、午門を正面から入り一番奥に座していた洋風建築です。皇帝の居住地として利用されていました。
しかし、第二次大戦後1946年ベトミンよって破壊されてしまいます。(当時在留日本軍は、建物の保存を提案したそうです。)
![フエ王宮の鳥瞰図](https://i0.wp.com/ample.style/wp-content/uploads/2023/05/E58D941D-BE07-4367-BD91-6DF2A4C978B8-1.jpeg?resize=960%2C700&ssl=1)
フエ王宮の鳥瞰図 最北端の緑色に示された建物が建忠宮殿
紫禁城をモデルとされたフエ王宮内は、ほとんどがベトナム伝統的木軸工法で造られた木造建築です。
しかし、皇帝の居城とされた建忠宮殿だけは、フランスの技術による鉄筋コンクリート造の建築です。しかし、ディテールをよく見ると、ベトナム的な装飾も施されている折衷様式の建築です。
![1930年の建忠宮殿](https://i0.wp.com/ample.style/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1764-e1683562949425.jpeg?resize=960%2C542&ssl=1)
1930年の建忠宮殿
建忠宮殿は鉄筋コンクリート造ですから、木造建築と比べて強固で安全です。
当時の皇帝が暮らす居住地としては最適でした。
建忠宮殿は、カイディン帝(Khải Ðịnh=啓定帝)時代に建設されました。
1921年に建設開始、1923年に完成しました。
鉄筋コンクリート造でヨーロッパとベトナムの折衷様式である点は、カイディン帝廟と通じるものがあります。
3階建ての木造建築
実はこの場所、建忠宮殿が建てられる以前に3階建ての木造建築が立っていました。
Minh Viễn Lâu(明命帝の床)といわれ、フエ王宮内でも一番高い建物だったそうです。
1827年にミンマン帝(Minh Mạng=明命帝)によって建てられましたが、1876年劣化のため取り壊されました。
![CGで再現された Minh Viễn Lâu](https://i0.wp.com/ample.style/wp-content/uploads/2023/05/89142065_491567304816858_7599420867600187392_n-1.jpg?resize=960%2C540&ssl=1)
CGで再現された Minh Viễn Lâu
建忠宮殿の再建も良いですが、個人的にこの3階建ての木造建築の再建にチャレンジしてほしかった。(木造建築が好きなので)
建忠宮殿の再建
建忠宮殿の再建は2018年に始まりました。上の写真のように大部分は完成し、現在は装飾や仕上げに入っています。
近い将来、外部内部も装飾的でキラキラした宮殿が完成する予定です。
フエ王宮も長らく訪れていないので、完成した暁にはもう一度訪問できればと思います。
![完成イメージ](https://i0.wp.com/ample.style/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1763.jpeg?resize=800%2C500&ssl=1)
完成イメージ
この記事へのコメントはありません。