ベトナムの残酷な歴史 刑務所・収容所4選
戦争の歴史を長く持つベトナム。
戦争中に付きものな建物といえば収容所です。
ホロコースト(大量虐殺)が起きたアウシュヴィッツ収容所は有名ですが、
ベトナムの収容所でも残虐な行為が行われていたようです。
今回は、ベトナムの歴史的な刑務所・収容所4選を紹介します。
フーコック島 ココナッツプリズン|フーコック収容所|Nhà tù Phú Quốc
今では「ベトナム最後の楽園」なんて宣伝文句で、すっかり人気の観光地となったフーコック島。
かつては流刑地として使用されていました。いわゆる島流しです。
ココナッツプリズンと呼ばれた元収容所(監獄)では当時の残酷な拷問の様子が再現されています。
個人的にはあまりこのような場所は好きでないですが、興味のある方はフーコック島観光の際に訪れてみてはいかがでしょうか。
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コンダオ刑務所|Côn Đảo Prison|Nhà tù Côn Đảo
コンダオ刑務所は、南シナ海に浮かぶコンダオ諸島にあります。刑務所は、1862年にフランスによって建設され、反逆罪で告発されたベトナム人の収容所として使用されていました。その後、ベトナム独立戦争中は、南ベトナム軍によってベトナム共産党の支持者の収容所として使用されました。
刑務所は、地獄のような過酷な環境で知られていました。収容者は拷問を受け、飢餓や病気に苦しみました。多くの収容者が死亡し、刑務所は「ベトナムのアウシュヴィッツ」と呼ばれていました。ベトナム戦争が終結した後、刑務所は博物館として公開されました。刑務所では、拷問の道具や刑務所で亡くなったベトナム共産党の支持者の遺品などが展示されています。
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ホアロー刑務所|Di tích Nhà tù Hỏa Lò
ホアロー収容所は、ベトナムの首都ハノイにあるかつての刑務所です。1896年にフランスによって建設され、ベトナム独立戦争中は北ベトナム軍によって米軍捕虜の収容所として使用されていました。アメリカ兵たちはこの収容所を「ハノイヒルトン」と呼んでいました。
収容所は市内中心部に位置し、赤いレンガ造りの建物です。収容所には独房、拷問室、ギロチンなどがあり、多くのベトナム人やアメリカ人がこの収容所で拷問や殺害を受けました。
収容所は現在、博物館として公開されており、収容所の歴史や拷問の道具などが展示されています。また、収容所の壁には、拷問を受けて命を落としたベトナム人の遺族からのメッセージが刻まれています。
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ホーチミン市10区 チーホア刑務所|Trại tạm giam Chí Hòa
かの有名な故ホーチミンの独立宣言には
「フランス人は学校よりも多く刑務所を建設した。」
という一節が出てきます。
フランスの植民地支配において、まず劇場を建てその次に刑務所を建てたそうです。
この刑務所は、フランス人がベトナムに建てた最後の刑務所となります。
もともとサイゴンには、1890年に建てたサイゴングランドプリズン(Maison Centrale de Saigon)がありましたが、この刑務所が手狭になったため、新しい刑務所のプロジェクトがはじまりました。
チーホア刑務所完成後、サイゴングランドプリズンは取り壊されます。
資料によると1939年もしくは1943年から建設がはじまったとされるチーホア刑務所。
しかし、日本軍がベトナムに進駐してきた(仏印進駐)のため建設が一時的に中断します。
第二次世界大戦終戦後、建設が再開されて1953年に完成しました。
中庭を囲う八角形の形をした建物で、中央に立つ塔は監視塔と給水塔を兼ねています。
現在でも現役の刑務所として利用されていますので、入ることはできません。
ベトナムで最も脱獄の難しい刑務所といわれていますが、過去2度脱獄があったそうです。
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