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【世界遺産】タインホア省 胡朝の城塞|Thành Nhà Hồ Vĩnh Lộc

胡朝は、陳朝末期の腐敗・堕落した宮廷官僚たちに対して、クーデターを起こして皇帝に就いたホ・クィ・リー(胡季犛)が起こしました。しかし、たった7年で明によって滅ぼされてしまう短い政権です。

陳朝末期、官僚出身のホは出世して権力を手にすると、長女を当時の皇帝の皇后にしてしまいます。その後、皇帝を暗殺し、廷臣たちを300余人殺してしまったそうです。

本人が帝位して国号をダイグゥ(大虞)としたのが1400年、滅亡が1407年のため7年間で滅びたと言われていますが、胡朝の城はそれ以前1397年に築城を開始、翌年には完成しています。 ホはクーデターのやり方に問題があり、悪逆非道な人物とされていますが、法整備や官制を見直した人物として評価されています。大土地所有制の制限や学校制度の整備、チュノム(ベトナム語の漢字化)の公用化、「大虞官制型律」を定め通貨を発行し銭を通用させるなど、陳朝ができなかった政策も行っていました。

胡朝の城塞は、南北約870m、東西約880mの方形で、周囲に壕があります。 城壁は5~6mの高さで、土盛りした後に切り石を積んで建てられています。 胡朝城はベトナムで唯一の大規模な石垣を持つ都城であり、保存状態がよいこともあり、2011年世界遺産として登録されました。

タインホア省の農園地帯に建つこの城塞は、石垣以外はほとんど遺っていません。 絶景を期待して、世界遺産として見に行くとがっかりする方もいるかもしれません。 ただ、田舎にあるため地域周辺も開発されておらず、昔からの風景を残しているので、数百年前を思い浮かべるには良い土地なのかもしれません。

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胡朝の城塞

胡朝の城塞

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