BLOG

Vietnamは「ベトナム」なのか「ヴェトナム」なのか。ベトナム国号の起源とは?

「Vietnam」は日本語でなんと呼ぶのが正しいのでしょうか?

最近は、日本語だと「ベトナム」と表記する方が多いですが、昔のベトナム関連書籍は「ヴェトナム」と表記されているものを見かけます。

ベトナム語の発音からしたら、「ヴェトナム」の方が近いですが、そもそも「Vietnam」という表記はベトナム語ではなくて英語ですね。
ベトナム語だと「Việt Nam」と表記して、カタカナ表記は「ヴィエット ナーム」と読むのがベトナム語の発音に近くなります。が、カタカナだとベトナム語の声調が表記できないので、正しく伝わるかは読み手の発音次第です。
以前の書籍で「ヴェトナム」と表記されているものが多いのは、ベトナムの研究者からしたら「ヴェトナム」と表記するほうが、本来の発音に近いからそう表記したのではないでしょうか。昔は、ベトナムに関わる日本人自体が少ないのが実情でした。

今では、日本語ほとんどが「ベトナム」と表記するのが基準となっているようです。

ベトナム国名の正式名称 Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam

 ベトナムの国旗 

ベトナムの国旗

Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam:ベトナム社会主義共和国

Cộng Hoà :共和国
Xã Hội Chủ Nghĩa:社会主義

日本外務省のベトナムページでも「ベトナム社会主義共和国」と記載されているので、日本語表記は「ベトナム」が正しいと理解して良いかと思います。
ベトナム社会主義共和国 | 外務省 – Ministry of Foreign Affairs of Japan

ベトナムの漢字表記は【越南】

ベトナムの漢字表記は、【越南】と書きます。【越=Việt】【南= Nam】

「ベトナム(越南)」の国の名付けは親は中国(当時は清)と言っても良いでしょう。
1802年、ベトナム最後の王朝となるグエン朝が誕生しました。グエン朝(阮朝)最初の皇帝が嘉隆帝(ベトナム語: Gia Long ザーロン帝)と呼ばれた阮福暎(グエン・フック・アイン)です。
当時のベトナムは、清朝とは朝貢関係にあったので、ベトナム全土平定したことを清朝に報告し、国号を「ナムベト(南越)」にしたいと願い出ました。ところが、清朝は「南越」という国号を使うことを許可しませんでした。

紀元前207年、中国の秦朝末期に誕生した中国南部の国号を「南越」と名乗り、今の広東を首都として中国南部一帯を支配し秦朝に反逆しました。
この政権は趙朝と呼ばれ、ベトナムの歴史の始まりと言われています。秦朝滅亡後の漢の時代まで勢力を奮いました。
6世紀にも、リ・ビが南越帝を名乗り、当時中国南部を支配していた梁朝に対して反逆します。
その後1000年に渡る北属(中国がベトナムを支配する)時代の間も、ベトナムは従順な国とは言い難く、面従腹背といった関係が続きます。
こういった歴史的背景から、中国にとっては縁起の悪い名前「南越」は許可されませんでした。そこで「越南」を国号とすることをなり、清朝からは「越南国王之印」を押し戴きました。

このとき、現代まで続く「ベトナム(越南)」という国号が決まりました。

面従腹背の【大南】

日本の国旗に似ている? 大南の国旗 CC 表示-継承 3.0リンクによる

しかし、ここで簡単に屈服しないのがベトナムです。
清朝に対して、正式な文章では「越南」という国号を書き服従してるように見せかけるも、他国に対しては「ダイナム(大南)」という国号を使っていました。「大南国」とは南方で大きな国という意味です。中国から南方の全てはベトナムで支配しようという野心も含まれていたとも推測されます。この自称「大南」はフランス植民地となり、仏領インドシナになるまで使用されています。

「ダイナム(大南)」以外にも、「ダイベト(大越)」、「アンナン(安南)」と行った国号を名乗ってきました。
「安南」はフランス植民地時代はベトナム中部を意味しますが、歴史的に国号として「安南」を使用されている時期もあります。

Đại Nam:ダイナム(大南)
Đại Việt:ダイベト(大越)
An Nam:アンナン(安南)

「越南」というと越境の南側という、中国を中心にしてベトナム側を観た国号であり、当時のベトナム人には受け入れがたいものであったようです。

今ではすっかり「ベトナム」として国号が認識されていますが、かつてはいろんな呼び方があったわけです。反中の人が多い国ベトナムですが、こういった国号の歴史的な背景を屈辱に思っている人もいるのかもしれません。

1885-1890に使用された大南の国旗

1885-1890に使用された大南の国旗

おまけ1

最後にちょっと疑問が残りました。
清朝は漢民族の国ではなくて、中国の東北地方いわゆる満州に住んでいた女真族が皇帝になった国です。モンゴルが中国を征服して元を起こしたように、女真族が中国を征服して起こしたのが清です。
ラーメンマンのような頭部天辺だけ髪を残し三つ編みを長くしたヘアスタイル(辮髪)というのは、女真族の髪型で、チャイナドレスも女真族の衣装です。

清朝というのは、その女真族が漢民族を支配していた時代です。
そんな時代に、清朝の皇帝がベトナムについて、どれだけ知っていたのか。疑問に残りました。
もちろん、漢民族の文官が使えていたので、漢民族の官僚が判断した可能性はあります。

おまけ2

ベトナム人が日本語を習うとき、ベトナムのことをローマ字読みで習うと「Betonamu」と習います。
これが不思議です。
日本人はローマ字でベトナムのことを「betonamu」と書くことはありません。ベトナム=Vietnamと認識しているからです。

一周回って可怪しくなった結果ですね。

Việt Nam → Vietnam → ヴェトナム → ベトナム → Betonamu

日本人としては、「ベトナム=Vietnam」なのですが、ローマ字読みすると「ベトナム=Betonamu」なんですね。
確かに正しいけど、なんか違和感があります。

おまけ3

ちなみに、日本の国号も中国主観という説が強いです。

「日本国は倭国の別種なり。其の国、日の辺に在るを以ての故に、日本を以て名と為す」

なんて、中国で言われたとか言われないとか。

 

参考: 物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム (中公新書) [ 小倉貞男 ]

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事一覧

新着記事