ベトナムの坊(Phường)とは何か
ベトナム語で「Phường」と呼ばれる行政区画の単位は、日本語の「坊」を当てて訳されます。
坊は、第三級行政区の一つです。日本における「町」と同じような区画分けと考えて良いですが、ベトナムの場合は、同レベルの単位で坊の他に、村(Xã)と町(Thị trấn)があるからややこしいですね。
しかし、村(Xã)と町(Thị trấn)は、中央直轄市だと市社(Thị xã)や県(Huyện)といった比較的人口の少ない行政区の下位に来ます。要は、田舎に使われる区画単位です。
なので、ホーチミン市の区内では、坊(Phường)が住所に付いています。ただ、ベトナムの場合は通り名の方が重要です。番地と通り名がわかれば場所がわかりますので、坊(Phường)はあまり気にされる方は少なかったはずです。タクシーに載る際も、なになに通りの何番と言えば、運転手さんもだいたいの場所がわかってしまいます。
日本の場合は、名前のない通りもあり、有名な通りでなければ、通り名はあまり重要視されません。誰かの家を尋ねる際も、なになに町何丁目何番地を調べてたどり着きます。日本の場合、土地勘のない人にとっては非常に分かりづらいですよね。
ベトナム的にというかヨーロッパでもそうですが、徳川家康通り〇〇ー〇〇みたいな方が、だいたいの場所が想像つきやすい。なぜかというと、住所に通り名が付いていると、面から位置を探すのではなくて、線から位置を探せるから見つけやすいわけです。
ただ、ベトナムにも坊やら町やらという面での区画もあります。
これは、行政区画の単位で、どうやら町長さんや坊長さんがいるわけです。
ベンタン市場のある「ベンタン坊(Phường Bến Thành)」
坊(Phường)が最近身近になってきたのは、コロナ禍のためです。
地域で感染者がでると「なになに坊が封鎖」と通知されます。いままで坊(Phường)について気にしなかった方でも気づく方が増えたと思います。
そもそも、なぜ坊なのでしょうか?
坊といえば、日本人にとっては「お坊さん」のイメージですが、ベトナムの場合は儒教の条坊制に由来しているようです。
儒教の教典『周礼』において、王城は「一辺9里の正方形で、側面にはそれぞれ3つずつの門を開く。城内には、南北と東西に9条ずつの街路を交差させ、幅は車のわだち(8尺)の9倍とする。中央に天子の宮、その東に祖先の霊を祀り(宗廟)、西に土地の神を祀る(社稷)。前方、南には朝廷、後方、北には市場を置く。」とある。
この思想を背景として、中国に条坊制の王城が発祥した。東西南北を直線的に街路で結ぶのが最も機能的だという中国の考え方は、その後、朝鮮半島や日本などへ周礼思想とともに条坊制として伝わり、これらの地域でも条坊制の王城が営まれるようになったと考えられている。wikipedia
2008年12月31日時点でベトナム全土に1327の坊があり、ホーチミン市は259坊、ハノイには147坊あるそうです。
筆者プロフィール:Koike Yusuke(デザイナー&マーケター)
木造建築士という建築知識をバックグラウンドに、ベトナム南部で家具のマーケティング・デザイン・商品開発をしています。ベトナム史が好きなので、ベトナム建築を古代から現代まで調べて、このブログで紹介しています。建築や家具、デザインはもちろん、ベトナム史やビジネスについて語り合える方募集しています。Twitterやインスタでお気軽にDMください。
資格:木造建築士 / カラーコーディネーター1級(商品色彩)
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