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アメリカがベトナム戦争で負けた理由と各国の被害状況

※この記事には、戦争に関する情報を記載しています。 書籍に基づく情報と一部個人的な意見を記載していますが、戦争を肯定することはございません。 むしろ戦争の悲惨さと虚しさを伝えることが主な意図です。 ▶ベトナム戦争の関連施設・建築をみる

今回はこの本からベトナム戦争の悲惨さを紹介致します。 アメリカの被害とアメリカが撤退した理由、そしてその後をお伝えします。 ベトナム戦争―誤算と誤解の戦場 (中公新書)

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アメリカ側の被害状況

  • 戦死者 5万8千人
  • 戦傷者 30万人

また、アメリカの求めに応じて、ベトナムに派兵した韓国、オーストラリア、ニュージーランド、タイなどの戦死者は合わせて5千人を超える。

ちなみに、第2次世界大戦のアメリカの戦死者は31万8千人

ベトナムの被害状況

ベトナムが被った被害はそれどころではありません。

  • 戦死傷者 300万人
  • 民間人の被害 400万人超
  • 行方不明者 30万人超
  • 枯れ葉剤の被害者 100万人
  • 精神病者 600万人
  • 難民 1千万人
  • ベトナムに投下された爆弾量 1400万トン

(ちなみに第2次世界大戦でも610万トン余り)

ベトナムがアメリカを撃退したとはいえ、ベトナム側の被害は相当です。 この事実を知って、今のベトナムをみると、本当によくここまで発展したものだと驚嘆します。

では、なぜ被害が少ないアメリカが「ベトナム戦争に負けた」と言われているのでしょうか。 大きくわけて3つの理由があります。

アメリカが負けた理由その1 予算オーバー(戦争にお金を使いすぎた)

下記引用を読んでいると、アメリカやソ連などの大国に対して怒りがこみ上げてくるのは、僕だけでしょうか。

米軍はボディ・カウント、つまり敵の死体数をもとに、1ドルあたり何人を殺したかというキル・レイショー(殺裁比ないし殺傷率)を算出した。ただ、その死体がべトコンか一般の農民かはわからなかったし、妊婦の腹から取り出した退治すら一人分とされることもあった。水増しの背景には、数字を上げさえすれば特別休暇がもらえるという兵士たちの事情もあった。しかしそれでもなお、敵一人を殺すのに三〇万ドルもかかる計算だった。空中戦でのキル・レイショー(撃墜率)は一九六六年までアメリカがほぼ三対一で優位にあったが、一九六八年頃には○・八五対一と逆転された。ちなみに第二次世界大戦ではほぼ八対一、朝鮮戦争では=二対一である。 1967~68年になると、アメリカは経済援助を含め年に三〇〇億ドルをベトナムに注ぎ込むようになった。北爆(ハノイに対する爆弾投下)の経費は1日150万ドル。B52爆撃機が一回出撃すると8万ドルが消えた。パイロット1人を養成するには77万ドルかかった。北ベトナム軍兵士一人を殺すのに300発の爆弾が必要で、その経費は14万ドルに達した。一ヶ月のベトナム戦費で、米国内の貧困撲滅や社会保障充実などをめざすジョンソン大統領の偉大な社会政策の一年分がゆうにまかなえた。アメリカの出費10ドルに対して敵の損害はわずか1ドル、それも中ソの援助が補填していたのである。

冷戦下、アメリカとソ連が直接戦火をまじえるのではなくて、 ベトナムという土地で代理戦争が行われていました。 もちろん、ベトナム国民は南北統一、民族としての独立を目指していたのですが、それを体よく利用したのがアメリカとソ連でした。 結局、泥沼化したベトナム戦争で、アメリカは莫大な戦費の割には、決定的な勝機も掴めずに、名誉ある撤退を探るようになってゆきます。

アメリカが負けた理由その2 アメリカ国民の反対

ベトナム戦争には、朝鮮戦争よりよほど米国民の支持があったともいわれるが、 テレビはその一翼を担っていたのである。しかしそれも一九六八年の年明げまでのことだった。 この年一月末に始まったテト攻勢は、南ベトナムほぼ全域の都市部、したがって記者たちの目の前で展開された。米国内の各家庭が、衛星中継によって史上初めてリアルタイムで、しかもカラー映像で戦争の洗礼を受けたのである。勝利が目前のはずの戦争で、なぜ敵がテレピカメラの眼前にまで押し寄ぜてくるのか。米国民は政治家に対しても、軍指導者に対しても、いいようのない不信感を抱いた。 この戦争はもは負けだと感じる者は28%から44%に急上昇した。ベトナム戦争は史上初めて、戦場ではなく新聞の紙面やテレビの画面で勝敗の帰趨が決まった戦争だともいわれ、「テレビ戦争」「リビングルーム戦争」の名を冠される。その背後には、1960年代のアメリカで、社会全体に対するテレビの影響力が急速に増大していたことがあげられる。 ことにテト攻勢二日目、サイゴンでの出釆事が衝撃的だった。南ベトナムの国家警察本部長官グエン・ゴク・ロアン准将が、後ろ手に縛られた一人のゲリラに近寄り、その頭をピストルで撃ち抜いたのである。このゲリラが数多くのテロを行い、ロアンの家族も皆殺しにしていたことなど知らない視聴者は、裁判もなしの路上での処刑に、このような理不尽がまかりとおる南ベトナム政府の体質に、そしてこの戦争そのものに強い嫌悪感を覚えた。「アウト・ナウ!(今すぐ撤兵を!)」の叫びはますます強まり、各地の徴兵事務所が襲われた。

ここで興味深いのテレビというメディアの発達によって、生放送で真実がリビングルーム(お茶の間)に伝わることになったという変化です。 実際に、アメリカ政府が伝える情報と真実に大きな差があり、アメリカ国内で反戦の空気が強まっていきました。いまでは、ツイッターやフェイスブックで個人でよりリアルな状況を発信できるようになりましたが、当時はテレビの影響力がいまよりも大きかったということがわかります。

しかし、ベトナム戦争当初は、アメリカ国内で「反戦」を唱えていた人はごく一部の人だけでした。アメリカ国内でベトナム戦争が社会問題として大きくなったのは、モハメド・アリの孤独な戦いがあったからです。 ▶モハメド・アリは、ベトナム戦争反対に全てを賭けた

アメリカが負けた理由その3 軍隊の内部崩壊

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米軍将兵は四六時中「べトコン症侯群」と彼らが呼ぶものの恐怖にさいなまれていだ。敵と味方、前線と銃後の区別はなく、基地内で働く労働者の中にもベトコンが潜んでいた。がんぜない子供さえ、爆弾や手榴弾を抱えているかもしれなかった。「よいベトナム人は死んだベトナム人だけ」「笑顔を向げてくれるのは乞食だけ」と兵士たちは嘆いた。彼らはストレス発散のため、また恐怖心から無差別攻撃、略奪、暴行、拷問、虐殺にのめり込んだ。それがべトナムの農民の反感をますます強めさせ、また米兵の心とからだをさらに蝕んでいった。 地面にはワイヤー仕掛けの手榴弾(ブービー・トラップ)や地雷が、落とし穴の底には人糞を塗った竹串が彼らを待ち構える。米軍戦死者の一割以上はこうした罠の儀牲者だった。昼なお暗いジャングルは、夜は完全にゲリラのもの。毒蛇、毒蜘蛛、毒虫、吸血ヒル、アリ、蚊、皮膚病なども米兵の敵だった。それは朝鮮の山岳地帯とガダルカナルのジャングルを合わせたような戦場だったという。兵士たちは「マッドネス・イン・マッディネス(泥濘の中の狂気)」に浸り続けたのである。 (中略) 兵士の二人に一人はマリファナの、四人に一人はヘロインの常習者であり、十人に一~二人は重傷の中毒患者だったといわれる。 (中略) 隊内の秩序は乱れ、警戒を怠って奇襲の餌食になる例も増えた。規律違反や出動拒否は目常茶飯事となった。一九六七~七一年、一ヶ月以上無断で離隊した脱走者はのべ三五万人以上。一九六六年には千人中一四・九人だったのが、一九七一年には七三・五人に上昇している。一九六九年には一〇分に一人の割合で脱走が発生した。一ヶ月以内の無断欠動も一年あたりのべ二〇万人以上、一説には二分に一人の割合だった。不名誉除隊者は五六万人を数えた。

長期にわたって光明の見いだせない戦場では、厭戦気分が満映し、士気がなくなりました。 恐怖から逃れるためのドラック常習。 こうなると、アメリカ政府は同国人を腐敗させるために、ベトナム戦争にアメリカ人を送り続けていた状態でした。

ベトナム側の被害のほうが何十倍もひどかったです。 しかし、ベトナムはアメリカに屈しませんでした。 もちろん、ソ連や中国の援助があったおかげとも言えますが、それでも被害を受け続けていたのはベトナムです。 ベトナムはずっと10年以上も負けない戦争を続けていたのです。

その結果として、アメリカが勝手に自滅しました。 アメリカが「ベトナム症候群」を患ったと言われています。

ベトナム戦争でアメリカが患った「ベトナム症候群」とはなにか

長年ベトナムを攻め続けたアメリカは、物的被害もありましたが、後々までつづく精神的な病にも悩まされるようになりました。

第三の症状は、アメリカ人の自信と価値観の喪失である。世界最強の軍事力と経済力。群を抜く科学技術水準。自分たちはフランス人とは違うという楽観。アメリカは全知全能だという神話。民主主義や自由、市場経済などアメリカ的価値観。それを世界に輸出することが正しいとする信念。それらすべてがもろくも崩れ去ったのである。 その背景には、ベトナム戦争と並行して、アメリカ自身が抱える問題が深刻化していったことがある。犯罪の増加、あいつぐ政治的暗殺、麻薬の蔓延、教育の崩壊、人種間の対立激化や暴動、政治家の堕落、治安悪化、経済の不振、生活水準の実質的低下、軍事力の弱体化、世界におげる指導力の低下などである。 そのしわ寄せが低所得層やマイノリティに向かった。全人口の11%でしかない黒人が、入隊者の13%、戦闘部隊要因の20%、戦死者の23%を占めた。同様に人口の7%にすぎないヒスパニックが、戦死者の20%に違した。貧困と差別の底辺であえぐよりベトナムに行くほうがましだともいわれた。しかし戦場でも人種差別はなくならなかった。ペトナム症候群とは、じつは「アメリカ症候群」とでも呼ぶべきものだった。

人間が考えることについて、「誰が正しい」ということは無いのです。

ただあるのは事実だけです。

たとえキリストの考えが正しかったとしても、それを信仰する信者たちによって悲惨な殺戮は世界中で行われました。 集団的なレベルの「我々は正しい、彼らはまちがっている」という考え方は、国家間、人種間、民族間、宗教間イデオロギー間の激しい紛争が延々と燃え盛る世界の紛争地帯に根付いています。

対立するどちらも自分たちの側にだけ真理があると信じていて、どちらも自分たちは犠牲者で相手が悪だと考えています。 相手を人間ではなくて敵という概念でくくっているので、大人どころか子供たちにまでありとあらゆる暴力を振るうことができるし、人間らしい心の痛みも感じないでいられます。

対立を繰り返すことで、攻撃と報復、やられてはやりかえすという悪循環に陥っていきます。 ベトナム戦争ではアメリカが撤退しましたが、手を出したアメリカも相当の精神的被害を被ったというわけです。

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