チャンパ建築の最高傑作ミーソンのチャム塔 アメリカの爆撃で消滅した【塔A1遺跡】
チャンパ王国が何世紀にもかけて祠堂を建て続けてきたミーソン遺跡。70以上もの祠堂があったそうです。(60以上と記す書籍もある)
その中でも「チャンパ建築の最高傑作」と言われていたのがミーソンA1の主祠堂でした。
しかし、A1はアメリカ軍の爆撃により、無残にも崩壊し今現在その姿を見ることはできません。長年続いた戦争のため、A1だけでなく他の祠堂も破壊され、Aグループの遺跡はほぼ失われてしまいました。
旅行会社の紹介などでよく見かけるミーソン聖域は、B・C・Dグループの遺跡です。
もしミーソン遺跡がチャンパ王国時代の姿を残していたら、東南アジアにおけるアンコールワットに次ぐ巨大な遺跡群としてもっと有名になっていたことでしょう。(ちなみに、今はほぼ消えてしまった大乗仏教寺院ドンジュオンはボロブドゥール並みの規模を誇ったそうです。)
ベトナム戦争時においては、ベトナム人にとってもアメリカ人にとっても、チャンパ遺跡は異民族の建物であり、文化的な価値としてあまり見なされていなかったのだと思います。
と言いたいところですが、フエの王宮も戦場となったことを考えると、命のやり取りが行われる場所では、文化的価値などというものは意味をなさず、ただ城塞として使用されるだけの建物となるのでしょう。
チャンパ王国の末裔は少数民族のチャム人としてベトナムを始め、カンボジアやマレーシアで生活しています。しかし、チャンパ王国の資料があまり残されていないのは、紙の文化がなかったためか、碑文(石碑)から読取る他は中国の文献に依るしかないようです。
石碑の内容によると、4世紀の終わりに、バドラヴァルマン王は、シヴァバドレスヴァラ神を崇拝するために木造の寺院を建てました。チャンパ遺跡といえば、優雅な煉瓦積みの建築ですが、古代は木造だったのです。
当時のミーソンに建てられた寺院の数と様式は知られていません。 6世紀末〜7世紀頃に完全に焼失したためです。その後7世紀から13世紀まで、王たちは古い寺院を改造し、神々を祀るために新しい寺院を建てました。ミーソンの大きな寺院のほとんどは、シヴァ神を崇拝するために建てられています。
チャンパ王国はヒンドゥー教シヴァ派を主とする国でした。
シヴァ神は破壊神として有明ですが、シヴァ派においては、最高神シヴァは全ての中の全て、創造神、維持神、破壊神、啓示を与える者であり、全てを覆い隠すものだと信じられているそうです。シヴァ派にとってシヴァ神は単なる創造者ではなく、彼自身も彼の作品であり、シヴァは全てであり、普遍的な存在である。シヴァ派においてシヴァ神は根本的な魂であり、純粋な魂であり、ブラフマンでした。三神一体論(トリムルティ)という説で、シヴァ神は最高神の三つの神格の一つにまで高められ、世界の寿命が尽きた時、世界を破壊して次の世界創造に備える役目をします。
チャンパ建築の主祠堂の中には、シヴァ神が祀られていたり、シヴァ神と化した当時の王が祀られていたり、時代によって変化しますが、チャンパ王国にとってはシヴァ神が中心です。
グループAについて
主祠堂は中央にあり、聖なる山を象徴しています。ヒンドゥー教の概念によると、これは宇宙の中心となります。通常、出入口は東向きに位置しています。
グループA:13の寺院を含むA1からA13までの塔は、ミーソン渓谷の南東にあります。
本祠堂A1は、チャンパの建築芸術の最高傑作と見なされていましたが、残念ながら1969年にアメリカの爆弾によって破壊されました。
H.Parmentierの図面と説明によると、 A1タワーは高さが24 m、両側が10 mで、東と西に2つの入り口があり、塔の本体は高くそびえています。各壁には5本の被覆柱があり、壁被覆には柱の下部から上部にかけて中央に深い溝があります。これらの柱には、葉と縞がS型の模様が接合部に配置されています。タイルの柱の間の壁にも曲がった葉に触れています。南壁と北壁の両側に突き出た偽の扉があり、湾曲したアーチを支える2本の長方形の柱で構成され、扉の内側の上に目を向けると、手を組み立った姿があります。
塔の屋根は、3層で構成されており、上の階は飾られた隅尖塔があります。頂上には砂岩のストゥーパがあります。
基壇部は、蓮の模様で飾られ、人物、象、ガルーダなどと組み合わされ、非常に活気のあるレンガ仕上げになっています。巨大な建築と、レンガや石の優雅な彫刻、柔らかな葉、人間や動物の形など、優雅でエレガントな外観の組み合わせだったのです。
A1寺院の周りには、A2からA7までを象徴する6つの小さな塔があり、東洋の神々(ディクパラカ)を崇拝
塔A2:南西、創造神ブラフマーを崇拝
塔A3:南向き、冥界の神ヤマを崇拝
塔A4:東南、火の神アグニを崇拝
塔A5:北東、イサナ(シヴァ神の別名)を崇拝
塔A6:北、富の神クベーラを崇拝
塔A7:北西、風の神ヴァーユを崇拝
塔A8:A1寺院の塔門
塔A9:巡礼者を迎える建物
塔A10:A1タワーの北に位置し、非常に大きな寺院で、戦争中に崩壊しました。タワーの壁の装飾パターンは、小枝のような葉を牛虫のなど特別な様式でした(ドンズォン様式の特徴)。
A11からA13までの塔は補助的な塔で、犠牲者を保管したり、他の神々を崇拝したりする場所として使用されていました。
A1グループの補修
近年ミーソン遺跡Aグループの修復作業が始まりました。
基壇と入り口の柱まで立ち上がっています。彫刻など含めて当時の姿を美しく再現してくれるでしょうか。今後が楽しみです。
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筆者プロフィール:Koike Yusuke(デザイナー&マーケター)
木造建築士という建築知識をバックグラウンドに、ベトナム南部で家具のマーケティング・デザイン・商品開発をしています。ベトナム史が好きなので、ベトナム建築を古代から現代まで調べて、このブログで紹介しています。建築や家具、デザインはもちろん、ベトナム史やビジネスについて語り合える方募集しています。Twitterやインスタでお気軽にDMください。
資格:木造建築士 / カラーコーディネーター1級(商品色彩)
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