椅子生産における機械と人の共生と共制

木製椅子の生産ラインを自動化することは難しい

っていうのは言い訳かもしれない。
だけど、言い訳だけでは通用しない状況があと少し先まで迫っている。
僕が働く工場は、いままではベトナムの安い労働賃金と豊富な労働力に頼って生産してきた。
しかし、ベトナムの最低賃金は毎年少しずつ上昇している。そんなことは、10年以上も前からわかっていた。だから、日々生産性を上げる改善活動を行うし、毎年機械設備に投資している。ラインの機械化そして省人化が課題だ。
しかし、工場の最新鋭化は、旗振り役のパワーと推進力がないと難しい。

ベトナムはもちろん、タイや中国、日本の家具工場を見学させてもらったことがあるが、椅子の生産ラインが自動化されている工場は見たことがない。
聞く話によれば、カリモクの工場は最新の機械が導入されて、タイムスケジュールも厳密に管理されているらしい。流石にカリモクは日本で一番大きな家具メーカーだけに、設備も最新鋭のもので揃えてもらいたい。でないと、もはや日本の家具メーカーは家具職人の集団でしかなくなる。

実際に椅子の自動化ラインというのは、理論的には可能。自動の加工機とコンベヤと移動用のロボットなどの機械を並べればラインは作れる。
だけど、扱うのが木材であるのが難しいところ。

木材は生きている

とか

木は人のよう

と言われるように、木材は樹種によって木目がちがうし、更に同じ樹種でも一つ一つ木目も違えばクセも硬さも表面の色も違う。

法隆寺の宮大工故西岡常一棟梁は、こういっている。
「木というのは正直です。動けない所で自分なりに生きのびる方法を知っておるでしょ。わたくしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど心があるということですな。」

本来、木と向きあうには心が必要。
だけど、心のない機械ですべて制御しようとするのは難しい。
それに機械は雑だ。人のような繊細さがない。

先日は、旭川のとある家具工場を見学させてもらったが、切削加工後の研磨や塗装はほぼ職人の手によって仕上げられていた。日本の家具は、職人の手で繊細に仕上げられているのが、中国製やベトナム製に見られない価値観である。この価値観について深堀りすると話が逸れるが、日本の市場ではもはや美しさや価値観の追求を求める層は富裕層や一部の美的価値観の強い人のみであり、大きな需要としては安価でトレンドに乗ったデザインの家具が売れる。

結局、マスマーケット(大きな市場)を狙うのであれば、
「多少雑でも、トレンドとデザイン性があり、市場価格よりも安く手に入る家具が売れる。(※もちろん安かろう悪かろうはダメ。)」

イコール

変動費の激しい人件費で手間暇をかけて椅子を作るよりは、機械の手で自動化して、デザイン性とトレンドを取り入れた椅子を生産するのが、大量生産を主体とする工場としてはあるべき姿だ。

工業品か工芸品か

19世紀の終わり、産業革命で大量生産による安価な家具が手に入るようになった。しかし市場には粗悪品が溢れる。そんな状況を見るに見かねてウィリアム・モリスが、手仕事回帰のアーツ・アンド・クラフツ運動を起こした。この職人気質な運動は日本のものづくりの原点にも垣間見える。

「振り子の理論」と言われるように、行き過ぎた大量生産化の反動で起こした芸術的運動も少し過激だったようだ。結局、モリス商会の製品は高価になってしまい大衆が手に入れることは難しかった。その後20世紀に入り、アーツ・アンド・クラフツの影響を受けたドイツ工作連盟やバウハウスが生まれる。彼らは産業と芸術との調和・統一を図る理念をもっていた。これこそ、我々インダストリアル製品の作り手は意識すべきだ。

安心して使用できる美しい家具を、多くの人に使ってもらえる価格で提供する。

ブランド主義や芸術主義、個人主義ではない。
会社として高付加価値の製品を高価格帯で売りたくなるのもわかる。
しかし、いまではハイエンドの家具は飽和状態。日本の家具メーカーは、みんなが揃って同じ方向を目指している。

日本の家具メーカーも巨匠デザイナーもニトリやイケアをバカにしているのかもしれないけど、多くの消費者の心をつかんでいるのはニトリやイケアなどマスマーケットにターゲットを絞った小売店。売上が結果として表している。
大衆にとっては、崇高で繊細なデザインよりも、トレンドを取り入れた70点デザインで、なるべく安く手軽に購入できる方がいい。
日本製の30万円のダイニングセット買うよりも、ベトナム製の10万円のダイニングセットを買って、残りの20万円を他のことに使いたい。それが大衆の心理だ。
マーケターならそれがわかるが、デザイナーにはわからない。

人々が求めているのは工芸品ではなくて工業品だ。
作り手の精神や理念は製品に反映される。魂がこもった椅子も確かにある。
しかし、それを受け止めてくれる人、受け止められる人が圧倒的に少ない。
インテリアに対する興味の有無、収入の問題、SNSで承認欲求が満たされるようになり、物欲がなくなり、家具のステータスも注目されなくなった。
この現実に目を背けてはいけない。

結局、僕たち家具の造り手に課せられた使命は、安心して使用できる美しい家具を、多くの人に使ってもらえる価格で提供することだ。

自動化と人の手と共生

先日、ベトナム木工機械展示会視察してきた。年々ブースが増えていて、外会場にもテント4つ分広がっていた。
中国・台湾などはじめ、ドイツ・イタリア・スペインなどの海外からの出展も多く見られ、たくさんの来場者で賑わい、見応えのある展示会だった。
NCをはじめ、ロボットなど自動化機械が目をひいた。ベトナムは年々賃金が上昇している上、労働環境が良いとはいえない家具工場は、労働者確保が難しくなるなりつつある。

一方で、米中貿易戦争の影響で、中国からベトナムへ多くの製品が生産拠点として移行しつつある。安い賃金や労働者に頼らない効率的な工場にするには、新しい機械に頼らざる得ない。

だけど、最初にも書いたように木製の椅子を制御された機械だけで作ることは難しい。
例えば、研磨という作業がある。
研磨は、粗い番手から細かい番手までさまざまなサンディングペーパーを使い、塗装前の下地を作る。研磨は、家具の仕上げにとって非常な重要なの工程である。機械での作業は可能だが、表面の仕上がり具合は人間の指先でないと確認できない。人の指先は、体中で舌の次に敏感な箇所である。その敏感な感覚を持った人の指だから、木の仕上がりが確認できる。研磨は人の手が欠かせない工程である。

かといって、全てを人の手で作っていては、最低賃金が上がるたびに、製品の値上げをせざるえなくなる。それでは、多くの人たちに使ってもらえる価格で提供できなくなる。
だから、僕たちは機械でできるところは機械に任せ、人の手を必要とするところは人の手を借りる。

こんな話、100年前のバウハウスでは、とっくに議論をしていたのだろう。
先人たちの知恵もなかなか活かされず、人々は目の前の課題に追われてやるべきことを見失う。本当の賢人でいられる人は少ない。

日本の椅子工場の機械化、特に自動化は遅れている。職人気質で良い家具をつくれるのは素晴らしいが、価格的な競争力がない。そして、皆ハイエンド思考・ブランド主義に走り、人の技術ばかり磨く。ある意味人の技術に逃げて、機械に頼ることを拒否しているように見える。しかし、日本の人口は減るばかり、いつまでも人々が工場で働く時代が続くわけがない。
海外で働いているとはいえ、僕は日本の産業を憂いている。中国ではロボットが比較的安く生産されて、工場でのロボット導入も増えている。日本の家具工場でも、日本の技術を残しながら、ロボット導入そして自動化ラインを作りロープライスの家具を作ることも試みるべきだ。いまでは、機械でできる仕事も増えている。

そうしなければ、中国はもちろん、アセアン地域で生産された家具はさらに日本へ普及してゆくだろう。

最後にベトナム展示会で視察した機械の数々をアップしておく。こういった機械がベトナムで導入されていけば、価格だけでなく、技術的にも品質的にも驚異になる時代がくるだろう。

筆者プロフィール:Koike Yusuke/ Structuralist of Chair
海外の家具メーカーで働く、
商品開発エンジニア兼デザイナー兼家具市場マーケター
資格:木造建築士 / カラーコーディネーター1級(商品色彩)
(Twitterはお気軽にフォローください!@yusukekoike21

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