社会人としてエッセンシャル思考を人生に活かすには
今回は、グレーグ・マキューンの著書「エッセンシャル思考」から「意識的な選択」な生き方についてまとめ。
本文を引用したり、僕の意見や経験を勝手に突っ込んだり、ドラマ【わたし、定時で帰ります】のセリフを引用しつつ、会社員として自分らしい人生を生きるための方法を探ってみたい。
優秀な人ほど成功のパラドックスに陥りやすい
先日まで放送されていたドラマ、【わたし、定時で帰ります】にこんなセリフが出てきた。
「仕事は仕事ができるやつのところに集まるんだ」
また、知り合いの大御所デザイナーはこうも言っていた。
「昔から忙しい人に仕事を頼めと言うんだ」
優秀な人、仕事ができる人には仕事が集まる。その結果がこれ
第1段階
目標をしっかり見定め、成功へと一直線に進んでいく。
第2段階
成功した結果、「頼れる人」という評判を得る。「あの人に任せておけば大丈夫」と言われ、どんどん多様な仕事を振られるようになる。
第3段階
やることが増えすぎて、時間とエネルギーがどんどん拡散されていく。疲れるばかりで全てが中途半端になる。
第4段階
本当にやるべきことができなくなる。成功したせいで、自分を成功に導いてくれた方向性を見失ってしまう。
引用:エッセンシャル思考
「それなりに頑張ってきたのに、もっとできるよう人間になれって煽られるのもなかなか辛いと思うんですよね。」
これも、【わたし、定時で帰ります】で主人公結衣がいった言葉。
会社に入り、上司に認めてもらいたくて、がんばり結果を出すのはすばらしいこと。しかし、一度結果を出すと、失敗するまでずーっと結果を出し続けなければならない。
上司がマネジメント能力の長けた人ならいいけど、ヘボ上司は部下に仕事をまかせっきりで、問題が起きたら怒鳴りつけるだけ。悪循環は永遠に続く。結局、仕事ができる人は疲弊していく。
エッセンシャル思考では、上司やまわりの人と気まずくなるのも承知で、一度「断ること」を強く推している。
いまの50代~60代の方たちは、お客様や上司に対してそ「断ること」「ノー」言うこと自体タブーとされてきた。
しかし
「わかりました!やります!」
と言っていても、結局やれないなら、相手にとっては不誠実な結果を与えるだけ。
結果としてダメになるような話は、最初から相手に対しては誠実な解答「ノー」と言うべきではないだろうか。
実際に、すぐ「わかりました!」と応える人は、わかっていない。もしくは、「わかりました!」の連発でキャパオーバーになり、仕事を処理しきれなくなる。
規律なき拡大は失敗への道
ジム・コリンズは、
「失敗の主な理由は企業が規律なき拡大路線に陥ったことだ」と言っている。
そもそも、人はなぜ方向性を見失うのか
人が方向性を見失うには、いくつか理由がある。
- 選択肢が多すぎる
- 他人の意見がうるさすぎる
- 欲張りの時代
「全部手に入れよう、全部やろう」とするうちに、知らず知らず何かを失っている。自分のエネルギーをどこに注ぐか決めておかないと、親や上司に自分のやるべきことを決められてしまう。自分で選べない人は、他人の言いなりになるしかない。
そこで溜まった不満やストレスを、ゲームやお酒や女遊びに向けて発散させようとしても、お金と時間があるうちはいいけど、それが尽きた時はストレスを溜め込むばかりという状況に陥る。
だったら、自分にとって一番大事なことを決めるのは、自分しかいない。
しかし、生まれて言葉がわかるようになってからというもの、親や学校、そして会社にやるべきことを決められてきた。取捨選択する権利も与えられていなかった。その結果、選択能力がほぼゼロに等しくなっていないだろうか。
選択能力を強化するためには、日々意識的選択を繰り返すしかない。
意識的な選択
例えば、朝起きる時間。
朝、ぎりぎりまで寝てから出かけるか、それとも1時間くらい早く起きて、勉強なり趣味なり読書なり運動なり、有意義に過ごすか。この朝起きる時間を決めるのも選択のひとつ。
もっと細かい部分では、朝食。
朝マックにするのか日本食を食べるのか、家で食べるのか外食もしくはコンビニで買うのか。
僕たちは日々選択の連続をして時を過ごしている。しかし、それに対してあまり意識的ではない。
朝マックやコンビニは明らかに体に良くないということをわかっているのに、時間がないから、という理由で選択している人が多いのではないだろうか。
さらに、無意識的な話をしてしまうと、
「歩くとき左足を先に出すか、右足を先に出すか」
これはまさに習慣やその場における状況で、体が勝手に判断して決めている。
今日は、右足を先に出して歩こう、という意識をもって選択している人はいない。
右足から歩こうが、左足からあるこうが、どうでもいいことは、無意識な選択でもよいかもしれない。
けれど、自分にとって大事なことまでも、無意識的な選択をしてはいけない。
たとえば、どの大学へ行くのを決めるのに、
「この大学しか受からなかったから」
という理由で選んでいないだろうか?
まさに、僕自身がそうだった。
僕は現役で受験した大学は法政大学しか合格しなかった。そんな理由で法政大学へ進んだ。
一浪するという選択肢については考えなかった。
法政大学へ進むという選択をするのにかけた時間は、ほぼ一瞬だった。というか、この大学に行かない、という選択肢に気が付かなかった。大学に受かったからその大学に進んだ。
本当にそれで良かったのだろうか。
就職にしても同様。
「この会社しか内定がなかったから」
という理由で選んでないだろうか。
その内定を蹴るという選択肢に対して、どれくらい時間をかけたか?
僕は就職活動で、3社内定をもらった。けど、1社を選ぶのにそれほど時間をかけなかった。
その結果、ブラック企業に勤めてしまい、無意識的で最悪な6年間を過ごすことになった。当時の自分には正しい選択をする能力がなかったといえる。
もちろん、ほかの会社に勤めたら幸せだったかどうかは、今になってはわからない。過去に遡って、やり直すことはできない。だけど、今と未来は変えることはできるはず。
まず、未来をかえるにためには、今を意識的に生きなければならない。
意識的に選択するのもその一つ。
選ぶ能力は誰にも奪えない。ただ、本人が手放してしまうだけ
人は、なぜ選ぶ能力を手放してしまうのか
それは、学習性無力感があるから、という。
たとえば、算数の初歩でつまづき、どうやっても解けない問題に苦しんだ子供は、算数を理解しようという努力を投げ出してしまい、何をしても無駄だと思い込む。
仕事の場合も同様で、いくら努力しても無駄だという経験をした場合、反応は大きく2つに分かれる、と書かれている。
①努力をすっかりやめてしまう人
②働きすぎ、何もかもやろうとしている人。
自分では何ひとつ選べないから、すべて引き受けてしまう
僕の経験に当てはめると、最初は②で、なんでもやろうとした。でも、途中で諦めた。20代後半の僕は努力をすっかりやめてしまい、いじけて受動的な働き方をしていた。
そもそもこうなってしまうのは、目上の人や上司、顧客の命令は絶対という、幼少期から刷り込まれた思い込みによる。エッセンシャル思考では、まずこの思い込みを捨てなければならない、とある。
選ぶという行動を自分のものにして、選ぶという行為に自覚的(意識的)であるのがエッセンシャル思考。
選ぶ力は自分だけのものであり、何者にも奪えないということを理解しなくてはならない。それでも、親や上司や顧客は自分の思いを押し付けて要求してくるだろう。
ここでエッセンシャル思考は極論すぎるのだけど、自分にとって大事なものだけ選択して受け入れるのがエッセンシャル思考だという。
しかし、その極端すぎる思考は、「頑固」や「わがまま」「自己中」扱いされかねない、と僕は思う。
まずは、不当に感じる要求を受けたとき
「彼らの要求を受け入れると自分がどういう状態になるのか?」
というシミュレーションしてみる。
すべてを受け入れてキャパオーバーしてしまえば、それこそお互いにとっていい結果にはならない。
ここで注意してほしいのは、必要なのは客観的な考察のみであり、「やる気があればできる」「死んでもやり遂げる」というような精神論を踏まえてはいけない。
本質的には、頑固である方が良い結果を出しやすい、と個人的には思っている。けど、コミュニケーションの仕方によっては、相手を怒らせてしまうという弊害がある。
「エッセンシャル思考を読んで、さぁさっそく実践だ!!」
といきり立つよりも、この状況はエッセンシャル思考ならどう考えるかと、意識的に状況を見つめることが大事。
そして、最終的には自分の選択力を磨き、うまいコミュニケーション能力を身につけ実践していかないと、ウィリアムズ・ジェイムスのいう「自由意志」を手に入れられない。
自分の人生を思い通りにしたいなら、他人に自分の人生を選択させない
親は言う
「あなたのことは、ママが一番わかっている。ママの言う通りにすれば、あなたは幸せになれる。」
上司は言う
「俺はおまえのことを買っている。だからおれの言うとおりにすれば、悪いようにはしない。」
いやいや、自分のことを一番わかっているのは自分でしょ。
人は他人に評価を求めようとする(承認欲求)けど、他人の評価をもとめることは、自分を他人に合わせることであり、選択権を他人にゆだねることになりかねない。
例えば、デートのとき
彼氏「何食べたい?」
彼女「なんでもいい」
彼氏「じゃあ寿司でいい?」
彼女「えー寿司、昨日も食べたじゃん。イタリアンにしようよ」
なんでもよくねぇじゃん。
他人に選択権をまかせても、自分のほしいものは手に入らない。
イタリアンが食べたいなら、最初からそう答えるべきなのに、人は思考をめんどくさがり相手にゆだねてしまいがち。
「親や上司は経験豊富だから、言っていることは正しいはず」
これも思い込み。
正しいこともあるし間違っていることもある。
「それもわかっているけど、衝突がいやだから、いうとおりにやっておけばよい。」
これは、諦めた人の考え方。
「エッセンシャル思考の人は、選ぶ力を無駄にしない。その価値を理解し、大切に実行する。選ぶ権利を手放すことは、他人に人生を決めさせることだと知っているからだ。」
ダメ押しになるけど、「7つの習慣」でも似たような内容が書かれている。
日々の生活の中で自覚を育て責任を持って第一の創造を行えるようにならなければ、自分の人生の行方を影響の輪の外にある状況や他の人達に委ねてしまうことになる。家族や同僚から押し付けられる脚本どおりに生き、他社の思惑に従い、幼い頃に教え込まれた価値観、あるいは訓練や条件づけによってできあがった脚本を演じるという、周りのプレッシャーに反応するだけの生き方となる。
引用:7つの習慣
7つの習慣にある「第一の創造」とはなにか?それは「終わりを思い描くこと」。
それはクリエーターの得意とする分野のはずで、建築士なら設計図を書くことであり、漫画家なら絵コンテを描くこと。そして、自分のことなら、自分の人生設計を思い描くことで、他人に左右されない人生を歩むことができる、という。
自分の人生の脚本は自分が書く。他人に書かせてはいけない。自分の人生は自分で選択する。
だけど、自分にとって大事なことを選択して生きていくなら、トレードオフが欠かせない。
戦略には選択とトレードオフがつきもの
選択する際には、トレードオフすべきということ。「拾う」ことと「捨てる」ことは表裏一体。
何かを「拾った」時点で何かを「捨てる」日がいつか来る。
たとえとして、分かりやすいのが荷物。
20kgの荷物を抱えて歩くのと、10kgの荷物を抱えて歩くのとどちらが速いか。
小学生でもわかる問い。
ちなみに、僕もむかしバックパッカーでアジアを旅した時はなるべく荷物を軽くするようにしていた。
何か足りなければ、現地で調達すればいい。
飛行機に乗る時も制限荷重が決められている。
最近は一人40kgまでOKの航空会社もあるけど、LCCなんて乗ったら荷物制限が厳しい。荷重オーバーなら何かを捨てる、もしくか荷重料金を払うことになる。
仕事も同じで。
何でもかんでも「OK!OK!」していたらキャパオーバーになるのはわかりきっている。
だったらトレードオフをしましょうと。
本文では、
何かに「イエス」と言うことは、その他全てに「ノー」ということなのだ。
何かを選ぶことは、何かを捨てること。
簡単に「はい」と言って後で後悔していないか?
「はい」という言葉を言う前に、まずは「ノー」からはじめてみてはいかがだろうか。
絶対にイエスだと言い切れないなら、それはすなわちノーである
最近、僕がよく使うずるい方法がある。
それは、
「ノーコメント」
誰もが理解しているように、「ノーコメント」とは「ノーとコメント」するではなくて、「コメントしない」と言う対応。イエスとは言いたくないが、ノーとも言えない。
そんなときに便利な言葉が「ノーコメント」
即決のできない判断なんて山ほどあるのに、即決を迫ってくる人が多い。
かつての自分も上司に即決を仰いでいた時期があった。
リーダーは「英断する」のがカッコよくみえますが、「情報がそろうまでは判断を先延ばしする」という手法も十分に効果的な対応。
しかし、部下としてはその対応は困る。
結局、部下は自分の職権内で判断して行動するか、そのままほったらかしにするかどちらか。
部下の機嫌をとって、部下の意見ばかり聞いている上司は、本人のパフォーマンスがどんどん落ちていく。かつての自分がそうだった。
「イエス」と言いたくない時は、曖昧にするのも一つの手。
もしくは、明確な基準をつくる。
基準にみたなければ、すべてノー。それがエッセンシャル思考
内的なプロセスは、外的な基準を必要としている
「あったらいいな」「住めたらいいな」
など曖昧な気持ちで選ぶのではなくて、
「絶対に欲しい!」「この街(家)しかない!」
と心から思えるものに出会ったときに行動する。
中途半端な選択を繰り返していても満足できない。
本当に満足できるものが見つかるまで「待つ」「探す」という行為が大事。
90点ルールを取り入れる
これは、賛否両論わかれる基準だと思う。
何かを選択するとき、妥協で選んでいないか?
60点~70点のものでいいやと思っていないか?
かのスティーブ・ジョブズが「気に入った家具が見つからず、自宅にはほとんど家具がなかった」というのは有名な話。
「90点ルール」と呼ぶことにしよう。最重要基準をひとつ用意し、その基準に従って選択肢を100点満点で評価する。ただし90点未満点の点数は、すべて0点と同じ。不合格だ。こうすれば、60~70点くらいの中途半端な選択肢に悩まされずにすむ。
テストで65点をとったときの気分を思い出してほしい。そんなパッとしない気分のものを、わざわざ選ぶ必要があるだろうか。
「90点ルール」は、トレードオフを強く意識させるやり方だ。厳しい基準を設ければ、必然的に、大多数の選択肢を容赦なく却下することになる。完璧な選択肢が現れることを信じて、かなり良い選択肢を切り捨てるのだ。
引用:エッセンシャル思考
消極的な基準でものごとを選んでいないだろうか。
「上司に言われたからやる」
「誰かに言われたからやる」
「みんながやっているからやる」
という基準。
著書いわく、自分の中に基準を作ろう、とある。
そして、行動する前に、選択する前に、自分の基準と照らし合わせる。
もちろん、上司や顧客に言われたら、やらざるを得ないこともある。
だけど、自分の基準と一致しない場合は、「断る方法はないか」、「他の人にやってもらえないか」など検討してみる余地もあるかもしれない。
もちろん、上司や顧客とケンカするわけにはいけない。
じゃあ、自分の基準に合うようにどうしたらもっていけるか、真剣に考えて、提案をする必要もある。
その時は、やらされてしまっても、次回はやらないですむ方法はないものか、自分のパフォーマンスをもっと発揮できるフィールドがあることを伝えるのもいいかもしれない。
結局は、著書の内容を鵜呑みにするのではなく、この「エッセンシャル思考」をどうしたら自分の生活に落とし込めるのかを時間をかけて考えてみる必要がある。
そうでないと、エッセンシャル思考を読んでも
「こんなの無理に決まってるじゃん!」
と投げ出してしまう。
この本に書いてあることをすべて実践する必要もないし、たとえ全てを実践したところでうまくいくわけがない。
自分が共感を得るところからでいいので、自分の生活に取り入れてみたらよいかと。
90点ルールに縛られると、物事が進まない場合もある。すべてのことに90点ルールを取り入れる必要はないけど、自分にとって大事な選択になると感じたときには、90点ルールを思い出してみればいい。
ひとつの目標を、立ち止まらずにおいかける。それが成功の秘訣
目標を決めたら、それに向かってひたすら進むだけでいい、ということは誰もがわかっている。
だれだって、大なり小なりの目標を達成した経験があるはずです。
「小さな成功体験の積み重ねで、人は成功する」って言葉も聞いたことがある。
そもそも「成功」ってなんなの?
成功:物事を目的どおりに成し遂げること。
成功したいなら、まずは目的・目標が必要。だけど、自分の人生の目標を設定せずに、なんとなく惰性で生きている人が多い。自分の人生の目標を決めるのは、親でも上司でもない、自分しか出来ないはずです。
それなのに、親や会社に依存してしまうと、他人が設定した目標に対しては突き進むが、自分の人生の目標を設定せず、自分の人生はおざなりにしてしまう。
例えば、会社の売上目標を達成するために、営業ひとりひとりに売上の目標を設定し、社員はその目標を達成するために一生懸命働く。そして、頑張った結果目標を達成する。
その目標を達成したら、その社員の人生は変わるか。
おそらく、大してかわらない。
会社はさらなる目標を設定して、社員のケツを叩くか、ボーナスや昇進という餌をぶら下げてさらに働かせる。最終的にこの終わりのないレースに勝ちのこれるのは、一人や二人。
そんな、会社の設定した目標よりも、自分が将来どうなりたいのかという目標を明確にして、本質的な目標を自分の人生に設定するべき。
自分が設定した目標を、会社の昇進レースに落とし込んでもいいし、会社のでの仕事はほどほどにして、自分が本当にやりたいことに向かって突き進む方法もある。
大事なことは、自分が向かっている目標は、自分が立てた目標なのか、それとも他人が立てた目標なのか?
他人が立てた目標にひた進んでも、自分の目標は達成できない。
だから、まずは自分の目標はなんなのか、もう一度振り返ってみるべき。そして、明確な目標を設定する。
「かなり明確」を「完全に明確」にする
本書では、「完全に明確」な目的(目標)のない会社の弊害を上げている。
目的が明確でないとき、人はどうでもいいことに時間とエネルギーを浪費する。これまで数多くの会社を見てきたが、その弊害は大きく2つのパタンとして表れてくるようだ。
パターン1 社内政治が蔓延する
まず最初のパターンとして、上司の気を引くための社内政治が蔓延する。仕事のゴールが見えず、どうすれば勝てるかわからないので、「上司の歓心を買う」という不毛なゲームに逃げ込んでしまうのだ。
~中略~
パターン2 何でも屋になる
もう一つのパターンは、リーダーの求心力がなくなり、各自がバラバラに動き出すことだ。会社の明確な方向性が見えないので、それぞれ目先の利益のための行動するようになる。
引用:エッセンシャル思考
パターン2については、仕事以外にも当てはまる事例が多い。
あまりに多くのことに少しずつ手を出していたら、本質的なゴールにはたどり着けない。努力の方向性がバラバラで、成果が足し算されないから。
何も考えず、言われたとおりに動くのは、すごく楽なことだけど、思考のない行動に成果は表れない。
明確な目的をもって、その目標を達成するためにはどうしたらいいのか、しっかりとした思考をした上で行動を起こす。
それで、失敗があれば、やり方を変えるなどして、軌道修正していく。軌道修正せずに諦めてしまう人も多い。失敗を受け入れるて、次の行動の肥やしにすればいい。
本質目標を決める
それでは、どのように本質目標を決めればよいのか。
下記は会社の本質目標設定指針だけど、個人にも当てはまる部分がある。
あなたの「生き方」についても考えてみてはいかがだろうか。
- 具体的かつ魅力的な戦略
- 意味があり、心に残る本質目標
- 一つの決断によって、その後のあるゆる決断を不要にする
著書の第10章の最後の部分。
人生の本質目標を決めるのは、容易ではない。勇気と洞察力を持ち、自分の力を最高に発揮できる行動を見定めなくてはならない。そのためには、タフな問いに答えることが必要だ。トレードオフを直視し、本質から外れたものごとを断固として切り捨てなくてはならない。
厳しいが、やるだけの価値はある。本当に明確な目標だけが、自分や組織の力を最大限に引き出し、真にすぐれた成果を可能にしてくれるのだから。
まとめ
自分の人生を決めているのは、自分なのか?それとも他人なのか?
他人の敷いたレールの上を走るのは簡単だけど、自分の裁量が少なくなる。
人の作ったルールに従って、人が敷いたレールの上を歩いていく。
そんな人生が悪いわけではない。
だけど、
「自分の人生を思い通りにしたいなら、他人に自分の人生を選択させない」
ということにも気づくべき。
たとえば、仕事との向き合い方で、こんな人もいる
「上司の言う通りにやりさえすればいい」
「お客様の言う通りにやりさえすればいい」
反対するのは面倒だし、もし、それで失敗したら彼らのせいだ。
日本では、学生の頃から縦割り組織を矯正され、会社に入ってもその延長で「上司や顧客の命令は絶対」という雰囲気が拭えない。日本の教育システム自体がせいもあるけど、上司や顧客に判断のすべてを委ねるということは、自分の選択権を放棄していることになる。
顧客の言う通りにばかり対応していたら、要求は段々とエスカレートするばかりでキリがない、好きなように扱われて、いざトラブルになったら切り捨てられることもある。
彼らの言う通りやって失敗しても、責任をとってくれる人は少ない。
結果的に、顧客や上司の言う通りに対応するとしても、自分の意見を言うのと言わないのでは、その後の関係が変わってくる。
では、自分の意見とは何に基づいて発するのか。
「終わりを思い描くこと」
自分の描く理想の未来に基づいて意見すればいい。
ビジネスの上では、顧客も自社も利益を上げるのが理想の関係。
どちらかに負担がかかっていると、バランスが崩れて、おかしな結果を生むことがある。
たとえば、最近日本で問題になっている「外国人技能実習生に法定通りの賃金を支払われない問題」。これも歪んだビジネス関係が生んだ結果。技能実習生を雇用する企業は、法定通りの賃金を支払えば、会社が回らなくなるという。
エッセンシャル思考は、本質的なことに重きをおいて思考すること。
そのためには、ビジョンや目標といった「理想的な未来」描き、創造的に生きること。
エッセンシャル思考が必要な人
先日まで放映されていた【わたし、定時で帰ります。】
この主人公は、まさにエッセンシャル思考の実践者だなぁ、と思う。
会社に対しては、自分の思いを貫く。
「定時に帰ります!」
と言って、他の社員はドン引き。
だけど、主人公は決して仕事ができないわけではない。むしろ、最後にはチームをひっぱるリーダーになっていた。
たとえば、主人公結衣のセリフ端々に、ここまで見てきたエッセンシャル思考が見られる
「自分を大切に、仕事しよ。」
「人生の使い方なんて、人それぞれだと思うんだよね。
「仕事が人生のすべてじゃないんだから」
「こっち選んでよかったって、そう思えるように頑張る」
自分でもっと人生をコントロールしたいなら、エッセンシャル思考をとりいれてみたらいい。
だけど、エッセンシャル思考には弊害がある。それは、他人とぶつかることが避けられないこと。
いままで「イエス」と言ってきたことに対して、「ノー」と言わなければならない。
そこでは必ず衝突が起こる。
しかし、その衝突を切り抜けると、自分の欲しかった時間を手に入れることができるかもしれない。
日本人は「空気を読む」「和を重んじる」ことを得意とするけど、それはかつての日本では分業化されており、それぞれの役割が決まっていたから、人に仕事を押し付け合うこともなく黙々と自分のやるべき仕事をこなせた。
しかし、欧米化された拡大思考の日本で空気を読んでばかりいたら、自分の「選択権」を放棄したことになり、会社や顧客の言いなりのまま一日一日が過ぎてゆく。
エッセンシャル思考を実践すると、「頑固」だの「自己中」だのと言われることもある。
が、言わせたい人には好きなだけ言わせておけばいいし、余計な仕事を断って空いた時間で、自分のための自己投資や家族との時間に割くべきだと僕は思う。
会社や親、上司に選択権を任せ、自分で判断のできないに大人になる。これも実は楽な生き方です。苦しまなくて済む。
長時間労働から解放され、限られた仕事時間に集中し、余暇を自分の好きなことで楽しむ、安定したライフ・ワーク・バランス手に入れる。
これは、ample.styleの第一歩だと考える。
エッセンシャル思考を実践する前に、自分の人生をどうしたいのか。
死の直前、自分の人生を振り返り満足できるような未来を描く。(終わりを思い描くこと)
まずはそれを考えてみてはいかがだろうか。
参照:エッセンシャル思考/7つの習慣/わたし、定時で帰ります。
About
筆者プロフィール:Koike Yusuke(デザイナー&マーケター)
木造建築士という建築知識をバックグラウンドに、ベトナム南部で家具のマーケティング・デザイン・商品開発をしています。ベトナム史が好きなので、ベトナム建築を古代から現代まで調べてます。建築や家具、デザイン、マーケティングはもちろん、ベトナム史やビジネスについて当ブログにまとめています。また、これらのテーマについて前向きに語り合える方募集しています。Twitterやインスタでお気軽にDMください。
資格:木造建築士 / カラーコーディネーター1級(商品色彩)
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