当ブログ「amle.style」では、「アンプルな暮らし=豊かなライフスタイル」について思考する。
では、豊かなライフスタイルとはなんなのだろうか?

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ミニマリストとシンプルスタイル

simpleという英単語は「シンプル」という日本語になっているほど、僕たち日本人にとって馴染み深い外来語だ。
しかし、ampleという英単語に触れたことがある日本人は少ないはず。
ampleは「十分な」や「豊かな」という英単語。

日本の英語の授業で習う「十分な」という意味の英語は、「enough」だと思う。
だが、ときに、「enough」は「もう十分だ」という少しネガティブな印象を受ける文脈で使われることがある。
例えば、イギリスでは「enoughという名の反消費運動」が起きている。運動の支持者は現在の社会がモノを消費しすぎ、その過剰消費文化が地球を疲弊させると考えている。
あるいは、「豊かな」という意味では、「金銭的に豊かな」を意味するrichという英単語がある。これもリッチというカタカナ表記でも通じ日本語化している。しかし、「rich」にしても「enough」にしても僕が考える「豊かな」という意には当てはまらない。

最近、「ミニマリスト」や「シンプルなライフスタイル」という言葉をネットや雑誌で見かける機会が増えた。
特に若者の間では、「なるべくモノを持たない」生活をしようとする人が増えているようだ。
モノを買うとしても、無印良品のようにシンプルでナチュラルな主張しないアイテムを選ぶ人も多い。日本の住宅はもともとシンプルだし、無印良品のような白やアースカラー(グリーン・ベージュ・ブラウン)を基調にしたアイテムは日本の住宅や生活に非常にマッチしている。「シンプルなライフスタイル」は日本では圧倒的に支持されたインテリアライフスタイル。僕はそう感じている。

一方で、上で紹介したイギリスの反消費運動が示すように、日本においても過剰消費文化を感じることが多い。
例えば食品廃棄物の量をみてみたい

【一人当たりの食品廃棄物量の主要国のランキング】

1位 オランダ 222.9-149.9kg
2位 フランス 200.5-148.7kg
3位 イギリス 187.0kg
4位 アメリカ 177.5kg
5位 ドイツ 136.0kg
6位 日本 133.6kg
7位 韓国 114.0kg
8位 中国 75.4kg

引用:https://malta-english.com/food-loss-ranking-in-the-world/

これは日本だけでなく、先進国各国が直面している問題で、しかもそれは発展途上国にも広がりつつある。僕が住む国ベトナムも食料廃棄量が年々増えている。「シンプルなインテリアライフスタイル」を好む日本人が多い中で、食事の事情はイナフなライフスタイル。
見方を変えると、過剰消費文化に逆行するようにシンプルなライフスタイルを好むミニマリストが増えているようにも思える。
振り子の原理とも言われるが、行き過ぎれば逆戻りするのが思考であり、大衆であり、人々のライフスタイルである。

日本人に刺さった「エッセンシャル思考」

多くの人にミニマムな考え方を普及したのは、グレッグ・マキューン著書の「エッセンシャル思考」によるところも大きい。ネット上で、ブログを通して「エッセンシャル思考」を知り、著書を読んで感銘をうけた人が多いことだろう。

essential:欠くことのできない、必須の、非常に重要な、(…に)ぜひ必要で、本質の、本質的な、精の、精を集めた

大事なことだけやって、無駄なことはやらない。
僕もこの考え方に傾倒した時期がある。でも、この考え方を中途半端に取り入れるのは非常に危険で、多様性を阻害することにもなる。
さらに、「エッセンシャル思考」を実行するには勇気が必要。見方によっては、自分勝手な考え方にも見えるため、必ず周りの人たちと衝突する。下手をすれば孤立する。周りの協力を得られなくなる可能性がある。

いくらエッセンシャル思考を貫こうと思っても、僕たちは一人では生きられない。現代社会は相互扶助で成り立っている。
流通・販売に関わる人すべてが機械化された社会なら別だけど、自動販売機であろうが、ネットショップで購入しようが、間接的に人の手を通してモノが届く。何かを成し遂げようとするならば、協力者を仰ぐほうが目標達成の可能性が上がる。

無駄なモノをすべて削ぎ落とす「ミニマム」な考え方というのは、時に極端な方向性へ走ることがある。
人間関係をモノと同じように整理しようとすれば、孤立しかねない。
「エッセンシャル思考」にしても「ミニマリスト」を貫くにしても、人間は成熟していないと、時に人を傷つけ、そして自分が傷つくことにもなる。
では、人間的に成熟するとは、どういうことだろうか。

「勇気」と「思いやり」をもった成熟が自己実現につながる

どんな思考を取り入れようが、「勇気」と「思いやり」だけは忘れてはいけない。それが自己実現に、そして豊かなライフスタイルへとつながると信じている。

成熟とは、勇気と思いやりのバランスがとれていることである。私は1955年の秋、ハーバード・ビジネススクールのフランド・サクセニアン教授からこの成熟の定義を教わった。教授は、「相手の考え方や感情に配慮しながら、自分の気持や信念を言えること」が成熟だと教えていた。

引用:7つの習慣

僕たちは、どれだけ相手の考え方や感情に配慮しながら、会話をしているだろうか?
相手の言葉の意味を配慮せずに、ただ自分の言いたいことばかり考えながら、会話をしていないだろうか?

高いレベルの勇気と思いやりの両方が、Win-Winに不可欠なものである。勇気と思いやりのバランスこそが、成熟した人間かどうかを測る基準になる。バランスがとれていれば、相手の身になって話を聞き、理解することもできるし、勇気を持って自分の立場を主張することもできるはずである。

引用:7つの習慣

ここで僕が言いたいことは、自分ひとりだけ幸せになることはできない、ということ。相互扶助の社会だから、自分に関わるすべての人が幸せになれるように、考えること。もちろん、自分の微々たる影響力で、他人を幸せにすることは難しい。
だけど、少しでも関わる人が幸せになれるように考える、それだけでも違う結果が生まれるのではないだろうか。

対立するのではなく、助け合う気持ちで接して話し合う。相手をやり込めようと思わずに、自分にとっても相手にとってもWin-Winの結果になるように考えて行動すること。

また、相手の価値観の違いを認めること。価値観の違いを受け入れる必要はないけど、そういった価値観が存在することを認識すること。多様性を認めること。そうすることで、自分の思考や価値観も多様化して柔軟になっていくのだと思う。

そう、21世紀は多様性無しには語れないし、20世紀の常識も通用しない変化の激しい時代に突入してきた。もはや「トリクルダウン」とか「マズローの欲求5段階説」などは忘れた方が良いと思う。

20世紀の常識が非常識になる。崩壊する「トリクルダウン」と「マズローの欲求5段階説」

21世紀に入り20年が経とうとしている。20世紀においては、常識と教えられてきた説が崩壊しつつあることをコトラーは語っている。
ここでは、富は富裕層から貧困層へ滴り落ちると言われる「トリクルダウン」の説、そして「マズローの欲求5段階説」の崩壊について触れておく。

富が「滴り落ちる」という勘違い

富裕層は、「経済が成長する、つまり上げ潮になれば、すべての船が浮上する」と語ってきた。経済成長すれば、富裕層はもちろん中間層も貧困層も豊かになる、ということだ。

 しかし、現実を見るかぎり、残念ながらその理念が実現しているようには思えない。そこで富は「滴り落ちる(トリクルダウン)」のではなく、「滴り上がる(トリクルアップ)」のが正しいようだ。それは富裕層をますます富ませるだけで、それ以外の人たちが恩恵を被るとしても、十分なものとはいえないのだ。

引用:コトラーマーケティングの未来と日本

コトラーは、「富は貧困層・中間層から富裕層へ滴り上がる」という。この説に実感を持つ人は多いと思う。
情報弱者や貧困層は常に大企業や富裕層からターゲットにされている。さらに、FacebookなどのSNSでは僕たちの個人情報は抜き取られる。マーケティング手法は進化していて、僕たちは大企業の思うどおりに行動を操られている。必要のないモノを買わされて、必要のないモノを消費する。
とはいえ、20世紀に比べれば、モノが溢れた社会になり、物質的に豊かさを感じる人類は増えたのではないだろうか。

マズローの欲求5段階説の崩壊

マズローの欲求5段階説とは

  1. 生理的欲求
  2. 安全の欲求
  3. 社会的欲求/所属と愛の欲求
  4. 承認(尊重)の欲求
  5. 自己実現の欲求

貧しい人は最初の2段階の物質的欲求のところに位置しているが、裕福になれば、すでに自己実現のことを考えている人が多い。そしていま、そうした人がかつてよりも、かなりの割合で増加しているのだ。

 その理由はもちろん、社会全体が物質的により豊かになったことがあるが、一方で、インターネット時代になって自己実現に邁進する人が以前より増えたこともあるだろう。ソーシャルメディアは「総表現化社会」化を推し進め、そこで承認欲求レベルが満たされることによって、マズローのいう「自己実現の欲求」にまで到達する人が増加しているのだ。

ヴェブレンが1899年の著作「有閑階級の理論」で提唱したのは、上流階級層の人は、自らの力を見せつけるため、余暇や服装、家具、住宅、美食などの「顕示的消費」「代行消費」などをするようになる、その虚栄心こそが消費の本質である、という考え方

たとえば、自分があることを好きでやっている場合、それを労働である、と認識するのは難しいだろう。これこそが「自己実現」の感覚である。

引用:コトラーマーケティングの未来と日本

SNS時代になり、貧困層でも承認欲求を満たせる時代になった。1万円でスマホが買える時代だ。スマホ1台あれば、動画を撮ってYoutubeやTikTokに上げて、承認欲求を満たせることができる。これはマズローの欲求5段階の2段階くらいすっ飛ばした行為だ。
そして、容姿に恵まれて、歌やダンスが上手ければ、世間から注目してもらえる可能性が高まった時代。自己実現を考えられなかった貧困層にも、夢が与えられた時代になった。

コトラーは、「マズローのいう自己実現の欲求にまで到達する人が増加している」と書いているが、正確には段階的ではなくなったと表現すべきと思う。
もう、ネットで画像検索して表示されるピラミッド型のマズローの欲求5段階説は崩壊したと考えるべきで、生理的欲求さえ満たされれば、安全欲求の満たされない場所でもSNSを通して承認欲求を満たすことができる。2の安全欲求と3の社会的欲求が成立しなくても、4の承認欲求を満たすことが出来てしまう。

また、3の社会的欲求を満たし、富裕層になった人が、4の承認欲求や5の自己実現へ向けた生き方をするか、というとそうでもない。金銭的な欲求を満たすことに注力する人がいて、富裕層が貧困層から搾取する「トリクルアップ」へと繋がっていく。

もう、僕たちが20世紀の教科書で学んだ常識は崩壊している。
豊かなライフスタイル(=ample.style)を手に入れるには、常に環境変化の波に乗り続けるしかない。

「企業生命力」の著者であるオランダのアリー・デ・グースは。ロイヤル・ダッチ・シェルに在籍していたとき、世界で創業から100年以上継続した27社を対象に、企業が長期的に存続するためには何が必要化、ということを研究した。

 そして27の「リビング・カンパニー(生命力のある企業)」を調査した結果、長寿企業には、

「保守的な財務」
「環境変化に敏感」
「己を知る」
「新しいアイデアに寛容」

という4つの特徴があることに、アリー・デ・グースは気がついたのである。

引用:コトラーマーケティングの未来と日本

世の中は、弱肉強食の世界ではなくて、適応生存だという。
じゃあ、僕たちはどうしたらいまの時代に適応できるのだろうか。
いまの時代、そして少し先の未来につながるヒントを、このブログを通して見つけていただければ。

筆者プロフィール:Koike Yusuke
海外の家具メーカーで働く、商品開発エンジニア&デザイナー&家具市場マーケター
資格:木造建築士 / カラーコーディネーター1級(商品色彩)
(Twitterはお気軽にフォローください!@yusukekoike21

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